(富山県)富山中部高校
「保健室戦争 -コレハ誰ノ戦イナノカ-」 宇津川ジン 作
《生徒講評委員会》
ある学校の夏の保健室。そこには絶対に入ってはいけないというついたてが置かれている。そのついたての中には教室には入れない風香がいた。その保健室に保健委員や生徒達、先生、はたまた校長先生までもが入れ替わり立ち替わり入ってくることによって話が展開していく。
まずこの芝居はアドリブが多いというのが魅力の一つだ。すべてのギャグをアドリブにすることで二回目・三回目に見る人も楽しませる新鮮さがあった。
舞台装置は見事に保健室を表していた。ついたてもそうだが、体重計や視力検査表・廊下のポスターなど、とても忠実に再現されていて、小道具の遮眼器やバットなどを上手に使用することでよりよい場の空気を作っていた。
音響・照明に関しては、校長先生のアドリブ「ダバダ~ 」などの観客のわかりやすい表現をすることによって観客を引き込んだ。雷が鳴るシーンでは迫力のある音響と横からピカピカと光る照明によって、ついたての中にいる風香が浮き彫りになり何か出たのではないかと言う恐怖感を漂わせた。それぞれのことをふまえて、各役者の頭の柔軟性が輝く劇だと思い感動した。
この劇では、保健室の先生が方言を使い、独特の雰囲気や役の感情の高ぶりを表現していた。他の役者も、感情が高ぶったときに方言を効果的に使っていたが、バランスに違和感があると言う意見もあった。
台本自体に伏線があり、例えばカサブタを、「心の傷も薬ではなく自分で治すしかない」ということを伝えるために使っていた。また、保健の先生が保健室を『戦争』と表したのにも、保健室にけがでばたばたと担ぎ込まれる患者や、風香のように心のキズなど様々な目に見えないキズをおった人たちが集まることから『戦争』と言ったのが分かる。
保健委員は短冊を作り笹に飾り付けるという作業をしていた、そこに風香の手首に巻かれていた包帯をギャルの森川が笹にくくり「身代わり」と言った台詞がとても印象的で、その意味とは実はSOSを意味する白旗を表していたのではないかと言う意見に、高校生として共感できる。また、「誰が敵で誰が味方かがわからない」という台詞にあったように、風香の担任が彼女の味方として行動した事が逆に彼女をキズつけ、結果的に敵となってしまい、日頃の言動について考えさせられた。
結局、目に見えない心の傷をおった風香が、手首の包帯を自らとることがきっかけとなって、登場人物が次々と自分のキズを見せる。劇の題名にもあるように「これは誰の戦争なのか?」については風香や先生などそれぞれが自分との戦いをしているというのを伝えたかったのではないかと思った。そして最後に保健の先生が笹に『世界平和』と言う短冊をかける場面では、「世界 = 一人の人間」で、心にキズをおった子達を見て、どうか心が健康で平和な自分を取り戻してほしいという願いを伝えたかったのだと思った。
《専門家・顧問審査員会》
方言(富山弁)をつかって自分たちの日常を表現したのは良かった。保健室らしい装置、壁の掲示物、コミカルな校長先生、客席にむけるギャグ、つかみは良かった。
芝居が好きで、自分たちの学校生活の中を描いていこう、でも、そんなに正面切って問題提起というのでもなく、今いるメンバーと顧問とが一緒になって、大好きな芝居に取り組んで、自分たちを表現していこうという雰囲気が感じられて好感が持てる。顧問の書いた作品を部員のみんなが一生懸命、そして楽しみながら演じる。この学校の普段の部活動の雰囲気が伝わってくるようだ。
しかし、今年の作品で言うなら、もう一つ練り込みが足りなかったのではないだろうか。演出の視点というか…。創作は、脚本として書き上がった時点で終わりではなく、稽古の過程で、演出と演じる役者とによって整理され肉付けされ深められていく点で、既成より生き生きとしたものになるものだと考える。作者が産み出したホンであるが、それを演出と役者が育て、装置・音響・照明で装わせ、晴れの舞台に嫁にだす、創作脚本の素晴らしさだと思う。
たとえば、登場人物それぞれの背景がもっと書き込まれたらドラマが生きてくる。特に衝立の陰にいる少女、重要なウエイトを占める彼女だが、なぜなのか、何をいいたいのかが見えてこない。また、サボりに来ているチャラい子と心が通じているのはなぜか、狂言のリストカット、その中のドラマが描かれていない。先生の描き方も、「保健の先生はわかっているいい先生、他の先生はわかっていない…」いい人と悪い人を図式化し並べているが、わかっていないとされる人にもその人の守るべきものがあるその厚みが欲しかった。審査員の教員の中からは、「保健室にいる子は病んでいる、教室にいる子はよい子」という型表現に引っかかる、保健室に来ることができる子はまだいいと言う声もあった。全体に、間口を広げすぎて焦点の絞り込みがぼけてしまっていた。あと、舞台上の位地取りの整合性が欲しかった。登退場で、花道から出て反対から入っていくと、保健室の出入り口は?と違和感があった。
一つの芝居をチームで作るには、演出の視点と、全員が一つのベクトルを向いて創っていくことが大切だと改めて考え自戒した次第。
開催県事務局本部として大変だった中、本当にお疲れ様でした。これからも、生徒と先生が一緒に創る作品を楽しみにしています。